せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第62話.香川本鷹始めました~畑作り編~

苦難を乗り越えて世話をし続けた苗の中に、植え替え(定植)が必要な位に大きくなった物もチラホラと出始めました。

そこで、植え替え先の畑の準備に取り掛かりました。

畑作りの手伝いは経験していたので、段取りは一応分かっていました。

先ずは一度畑を耕して、土を柔らかくします。

耕すのには、センパイ島民から借りた手押しタイプの耕運機を使います。

これが平地なら楽チンのはずですが、僕が借りた畑は島の高台の傾斜地に在る為、力を入れないと真っ直ぐ進んでくれないので結構疲れます(*_*)

続いて、石灰と堆肥(大抵が牛ふん)を畑全体に適量撒いてから、もう一度耕運機を掛けて土に混ぜ込みます。

石灰と堆肥を撒くと言うと簡単に聞こえますが、畑が広いとこんな作業でさえ体力を消耗します(^^;)

次は畝(うね)作り。
耕運機を掛けるだけで細い畝なら勝手に出来ますが、今回は60cm幅にしたかったので、自分の手で畝を作り直す必要が有りました。

雑草の繁殖を防ぐ為、黒いフィルムを畝に被せるマルチングという作業も最後に行ないました。
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フィルムが風で飛ばない様に、端に土を掛けて重し代わりにします。

島では様々な肉体労働をしていますが、その中でも土を掘り返すのが一番辛い作業じゃないかと思っています。

前述の畝作りもマルチングも土を掘らなければならないので、この工程は本当に嫌いです。

ただ、雑草がはびこるとどんな恐ろしい事になるかは骨身に染みているので、やらないという選択は無かったです(苦笑)

今回は3つの畑を用意したので、これらの作業を3セット繰り返した訳ですが、一度やればその大変さが分かるので、いちいち憂鬱でした(~_~;)

こうして、植え替えの準備は整ったのであります。

第61話.母が来た

先日、僕の母親が志々島にやって来ました。

正確には、暮れに帰省した時に「一生に一度は息子がどんな所に住んでいるか見に来なさい」と往復の交通費を渡したのですが、ようやく重い腰を上げたというのが真相です。

もっと言えば、母には「しまなみ海道」を自転車で渡りたいという目的が有り、志々島はその「ついで」でしかありません(笑)

当日、志々島へは僕が船で送り迎えしました。

良い所を見せたいなんてこれっぽっちも思ってませんが、今の自分をそのままを見せられればと考えていました。

が、行きも帰りもイレギュラーな状況に遭い、着岸で手こずる羽目に(*_*)

ついでに、センパイ島民からチヌ(黒鯛)を頂いたので急遽煮付けを作ったものの、醤油の分量を誤って久し振りに失敗したりと、何をやってもチグハグでした(苦笑)

さて、母の志々島泊は1日限りだったので、大楠~楠の倉~横尾の辻~天空の花畑と、主要スポットを一気に周りました。

今年で72歳。
今でもママさんバレーを続けているウチの母親にとって、この程度は朝飯前です。

いかんせん、僕のキンセンカ畑は既に見頃を終えていました。
加えて曇天だった為、志々島からの綺麗な眺めも見せて挙げる事は出来ず( ´~`)

このまま帰しては三豊市民の名折れとばかりに、翌日はフラワーパーク浦島と紫雲出山(しうでやま)に連れて行きました。

しかし、分かってはいたものの、フラワーパークのマーガレットも見頃を過ぎていて、残っていた花はほんの僅かだけ。
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一方の紫雲出山は、天候に恵まれましたが恵まれ過ぎてモヤが掛かり、いわゆる多島美はクッキリ見れず(ー_ー;)
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で、やっぱりこのままでは終われないと思い、最寄り駅の詫間ではなく、母の宿泊先・今治により近い観音寺駅まで、海沿いをドライブしながら送って行く事に方針転換しました。

海を眺めながらのドライブ、悪い気はしないでしょう?
まあ…母はノンリアクションでしたが(笑)

オマケのオマケで、銭形砂絵(寛永通宝)の見える高台に連れて行き、僕の観光案内は終了。
観音寺駅で別れました。

1日にこれ程の長い時間運転した事は無かったので、なかなか疲れました(^_^;)

ウチの母はその翌日、幾度も道に迷いつつ、夜8時まで自転車を漕ぎ続けて「しまなみ海道」を完走したそうです。

2日間に分けてゆっくり渡ったら?とアドバイスしたのに…アホですね(苦笑)

最後に。

母が志々島に来て分かったのは…洗い物の食器が2倍になるとシンドイなって事です。
あと、昼に炊いた米も夜には無くなりました(*_*)

独り暮らし歴12年。
当然ながら、料理も洗い物も一人分で済んでしまうので、こういう苦労は未経験でした。

いや~、主婦って大変ですね。
何でしょう、このまとめは(笑)

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※写真の花は、島の最高齢のおばあちゃんが僕の母親が来ると知って用意してくれた物です。

第60話.香川本鷹始めました~苗作り激闘編~

僕の苗床の様子を知って、センパイ島民からは「これはもう駄目だろう…」という諦めの声が聞こえて来ました。

と同時に、物笑いの種にもなっていたかもしれません(ー_ー;)

確かに絶望的な状況ですが、まだ苗作りの段階。
唐辛子作りのスタートラインにすら立っていないのに、諦める訳にはいかん!と思いました。

それ以上に、悲観的な声に対する反発心が芽生えて来ました(笑)

何の技術も要らない。
必要なのは、時間と根気だけ。

そう自分に言い聞かせて草取りを始めましたが…直ぐに心が折れそうになりました(~_~;)

それは、1~2時間続けても「え、たったコレだけ!?」と驚く程にはかどらないからです。

周辺に唐辛子の苗が無いとハッキリ言える時は、複数本の雑草をまとめて抜く事も出来ます。

でも、逆にその確証が得られない時は、雑草を一本一本抜いて行くしかありません。

実際、そのケースが殆んどでした(T_T)

そうやって細心の注意を払っても、唐辛子をウッカリ抜いたり折ったりという事は少なくなかったです。

ちなみに唐辛子の芽は、こんな葉っぱの形をしてあます。
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写真の物はだいぶ大きい方で、発芽したばかりの物はもっと小さく弱々しい感じです。

とにかく、悔やんでいる暇は有りません。

「止まない雨は無い様に、抜き終えない雑草は無い!」と信じて、草取りを続けました。

果たして何千本?何万本?の雑草を抜いたのか、数える気力も無かったので分かりません。

たった1.5畳ほどの苗床が、広大な草原に思えました(*_*)

草原と錯覚したからではないですが、途中からはピクニックシートを敷いて寝そべり、体力を温存しながら草取りしてましたね(苦笑)

そして…遂にその時を迎えます。

前回のブログの写真を再掲しますので、ビフォー・アフターをご覧下さい!
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見事、雑草に覆われていた唐辛子の苗が丸裸になりました!( ´∀` )b

当初は、全ての雑草を抜き終えるのに4日は掛かると予想していました。

が、実際の総作業時間は5~6日に達したと思います。

やり遂げて、ある種の達成感に包まれた僕ですが、前述の通りまだ唐辛子作りは始まってもいません。

もっと言えば、種を蒔く場所さえ気を付けていたら、味わわなくても済んだ苦労でした(苦笑)

第59話.香川本鷹始めました~苗作り苦悩編~

さて、本鷹の種も手に入ったので、先ずは苗作りからスタートです。

育苗用のポットやトレイを使う方法も有りますが、土に直蒔きした方が大きく育つとセンパイ島民から薦められたので、それに従う事にしました。

苗床の場所は、僕がキンセンカを育てている畑の直ぐ脇。
土地の形状的な問題で、畑としては使われて来なかったスペースです。

唐辛子は寒さに弱いそうなので、種蒔きしてからビニールハウス的な物を設けましたが、僕が島を留守にしている間に春の嵐で吹き飛ぶ、なんて事も有りました(苦笑)

そんな逆境にも負けず、スクスクと育ちました。

…雑草が!(*_*)

聞けば、長年畑として使われている土地なら、雑草が生えにくいとの事(あくまで「比較的」というだけで、しっかり生えます)。

一方、そうでない土地は人の手が入っていない分、雑草も繁殖し易いそうです。

ただ、それを知った所で後の祭り(^^;)

この状況を打破するには、唐辛子の芽を残しつつ雑草だけ抜くしかありません。

でも芽はまだまだ小さく、雑草と見分けるのは非常に困難。

なので、草取りは唐辛子の成長を待ってからにしようと、暫く様子を見る事にしました。

が、しかし。

当然ながら雑草も一緒に育つので、結果ご覧の有り様に(~_~;)
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芝生にしか見えませんが、苗床です。
写真で確認出来る草の内、99.9999…%は雑草です(苦笑)

苗床の面積は、せいぜい1.5畳程。

全ての草を取って良いのなら、ショベルで掘り返してしまえば30分も掛からないでしょう。

でも、残念ながらそうは行きません…。

ここから、僕の地味で地道な戦いの幕が開けました。

第58話.香川本鷹始めました~序章~

香川本鷹(かがわほんたか)は唐辛子の一種で、一般の物と比べると大きくて赤色が濃く、辛さは国産でトップクラスと言われています。
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かつて、香川県中西部の塩飽諸島(しわくしょとう)と呼ばれる地域で活躍した水軍が、安土桃山時代に朝鮮から持ち帰り伝えたという言い伝えが残っています。

その塩飽諸島で盛んに作られていましたが、外国産の急増で昭和55年頃に栽培が途絶えたそうです。

平成18年の復活プロジェクトにより、手島を始めとする一部の農家さんで栽培が再開されたものの、高齢化などの問題で生産量は減少傾向に有ります。

…と、長々書いてみましたが、インターネットで調べれば出てくる情報なので、この位に留めたいと思います(苦笑)

さて、先月のブログで収入源を作りたいという話をしましたが、何が良いか色々と考えていました。

その内の1つが、香川本鷹でした。

ちなみに志々島は丸亀藩に属していた為、塩飽諸島に含まれていません。

とは言え、直ぐお隣りの島ですし、香川の歴史有る作物で希少価値も高い。

なので、やってみたら面白いのでは?と思いました。

その話をセンパイ島民にした所、農業試験場から香川本鷹の種を取り寄せてくれるとの事。

やりたいと言ってもどうやって種を手に入れるんだろ?と思っていたので、正に渡りに船でした。

実を言うとこの時点では、今年は実験的な栽培に留めようと考えていました。

が、これでもか!という程沢山の種を貰い、「どうせやるなら売るつもりで、本気でやってみなさい」と言われたので、「よ~し、だったらコッチも作れるだけ作ったる!」と覚悟を決めたのです。

こうして、香川本鷹への挑戦が始まりました。

第57話.黄金週間

皆さんはこの10連休、どう過ごされましたか?

僕も東京に住んでいた時は、2泊3日以上の旅行を計画出来る絶好の機会なので、G.Wは最高の楽しみでした。

そのG.Wが仕事で消し飛んだ事が、移住を決意する引き金になったと言っても過言ではありません(笑)

それはさておき、「観光する側」から「観光客を迎える側」になって、G.Wが違った意味を持つ様になりました。

世間が休みの時に働く、サービス業の人達と同じ心境です。

実際、草刈りやら掃除やら、そんな事ばかりして過ごした気がします(苦笑)

その締め括りが、5月5日の「大楠祭り」でした。

昨年、志々島最年少の女子(年齢は秘密)による提案で始まったイベントで、今年が2回目となります。

今回は大楠の下、皆で一緒にお昼ご飯を食べようというシンプルな形になりました。

前回は様々な儀式?が詰め込まれたイベントでしたが、僕も特別な仕掛けは必要無いと感じていました。

沖縄のお墓参りでは、親族が墓前でお供え物を分け合って食べたり、宴会したりする風習があるそうです。

そうやって、故人に縁の有る人達が一堂に会する事が、何よりの供養になるんじゃないかな?と、勝手に解釈しています。

大楠と仏様とは別物ですし、こじつけに聞こえるかもしれませんが、大楠を好きな人達が集まって楽しく過ごす事で、大楠さんも喜ぶのでは?と思います。

スピリチュアル的な見解ですけど(笑)

さて、迎えた当日は快晴!

午前中は「ござ」を敷き易くする為に…やっぱり草刈り(^^;)
参加する皆さんを迎える準備をしました。

「そんな企画で人が集まるの?大丈夫?」と心配する声も一部に有りましたが、最終的には40人近い方々にご参加頂けました。
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僕が想定していた倍の人数だったので、大成功と言って良いでしょう(^_^)

外でご飯を食べると美味しく感じるという人は少なくないと思います。

しかも、大楠と瀬戸内海が「おかず」となれば尚更の事。
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あくまでも主催者はその娘で、僕はお手伝いに過ぎませんが、年に一度の恒例行事として続けたいものですね。

第56話.月明かり

志々島の夜は真っ暗です。

港周辺こそ、夜間航行する船の為のライトでそこそこ明るいですが、それ以外の場所では街灯もまばら。

だから夜は、家で大人しくする他ありません(^^;)

でもそのお陰で、星は良~く見えます。
志々島の星空を見に、皆さん泊まりに来て下さい!(笑)

それはさておき、暗いのは家の外だけでなく家の敷地内も、です。

僕は島一番の豪商だった方のお屋敷の「離れ」に住んでいますが、トイレやシャワー室は「母屋」の方に設置してあります。

が、庭を横切ってそこまで行くと部屋の明かりも届かず、ライト無しで歩くのは危険な位です(*_*)

なので夜間は、太陽電池式の人感ライトやヘッドライト付きの帽子などを利用しているのが実状です。

ただ時々、そういったアイテムを必要としない日が有ります。

そう、それは満月の晩。
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昔の人は月明かりで勉強したなんて話を聞きますが、それもあながち嘘じゃないなと納得出来る程で、庭全体を見通せます。

東京に居た頃は、十五夜スーパームーンの時ぐらいしか月の存在を意識する事は無かったと思います。

そもそも街明かりがまぶし過ぎて、月の明るさにも気付かなかったでしょう。

という訳で、都会から離れる事で知ったささやかな発見のお話でした。