せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第77話.一ヶ月○○生活~後編~

骨折した当初は、咳はおろか咳払いするだけでも患部が痛む状態でした。

療養中のお供は、腰当てバンドと湿布のみ。
それ以外、これといった治療法は有りません。
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後はたんぱく質を摂れ、肉を食えと皆から言われましたね。

また、僕を心配した島の皆さんが入れ替わり立ち替わり(?)、重たい物を運んでくれたり、食べ物を差し入れてくれたり、唐辛子の収穫を手伝ってくれたりもしました。

とは言え、トイレのメンテみたいな汚れ仕事はもちろん、家事までお願いする訳には行きません。

加えて、雨がなかなか降らずに唐辛子の水やりも休めなかった為、本当の意味で安静にする事は出来ませんでした。

…とか言いつつ、どうせ何も出来ないならと気晴らしに、小豆島へ2泊3日の旅行に行ったりもしましたが(笑)

それに関しては、気分転換でもしないとやってられない僕の気持ちをお察し下さいm(_ _)m

さて、一番の問題は睡眠です。

仰向け・うつぶせ・横向き等、どんな姿勢で寝るのもダメ(*_*)

横になると患部が圧迫されたり筋肉が引っ張られたりする為、痛いやら息苦しいやらでどうにもならず。

結果、座椅子を少しだけ傾けて寝る生活を送りました。
ほぼ座り寝です(~_~;)

熟睡するのは不可能なので、断続的に寝てトータルで睡眠時間を確保しました。

実は東京で暮らしていた頃、7~8年座椅子で寝る生活をしていたので、それ自体に違和感は有りませんでした。

が、自らの意志でするのと、止むを得ずするのとでは大違いですね(苦笑)

この記事を書いている現在ですが、患部を押したり右の腹筋に力を入れたりすると、まだ痛みが出ます。

僕の漢方の主治医曰く、何処の骨折でも何だかんだで2ヶ月位は痛みは続くとの事でした…。

怪我の功名という言葉が有りますが、プラス要素を一つ挙げるとするならば、体重が5kg増えた事です。

運動しないと太る。
至ってシンプルな構図です(笑)

元気になって動き回ったら、一瞬で元に戻りそうですけど(^^;)

屋外作業は危険と隣り合わせ。
いつ死んでもおかしくないと思っています。

ただ船に乗るだけでも、よろけて海に落ちたら一貫の終わりです。

そういう覚悟はしているものの、まだ死ぬわけには行きません。

大ケガや重い病気を患ったら島では生活していけないので、この程度で済んで良かったと思うべきなんでしょう。

ただ、時間を随分ロスしました。

やりたい事が出来ずに、物凄~くフラストレーションが溜まっています。

万全の状態になったら、島中の草木を根絶やしにする程に暴れ回りたい気持ちで一杯です(嘘)

第76話.一ヶ月○○生活~前編~

話は9月の最終週まで遡ります。

島内で、お墓の上に張り出した大きな木々を切る手伝いをしていた時の事です。
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チェーンソーで木を切るのは、自治会長さんとセンパイ島民のお仕事。

そのまま幹や枝を切っては墓の上にドカンと落ちてしまうので、そうならない様にロープを掛けて引っ張るというのが僕のお役目でした。

単純な作業ですが勝手の分からない僕は、見よう見まねで何となくやっていました(苦笑)

が、斜面に立っていたのが災いしたのでしょう。

切られた木の重みで逆に僕が引っ張られ、ヘッドスライディングの様に前へ倒れ込みました。

それだけなら良かったものの、倒れた先に小さな木の切り株が在ったのが運の尽き。

そこに、右の横腹を思い切り打ち付けました!Σ(×_×;)!

猛烈な痛みに襲われると同時に、息を吸う事も吐く事も出来ない状態に。

意識はハッキリしているので、「世の中にはこんな死に方をする人も居るのでは!?」とか、悪い考えまで頭を巡りました。

少し時間が経つと呼吸も出来る様になりましたが、餌に群がる鯉の様に口をパクパクさせて、やっと息を吸える程度。

助け起こされましたが、立っているのも辛い状況で、依然として深く息を吸う事は出来ませんでした。

柔道で受け身を取った時に息が詰まったりもするし、恐らくは酷い打撲だろうと思ったので、自転車に寄り掛かりつつ、どうにかこうにか家まで帰りました。

が、トイレまで歩いて行くのも辛い。
痛くて横になれない。
右の横腹を手で押すと、パキポキ音がする。

ネットで調べた限り、それらが骨折の症状に酷似していたので、翌朝病院へ行ってみる事に染ました。

診断結果は…やはり骨折(*_*)

あばら骨が3本、折れたりヒビが入ったりしていて、痛みが治まるまで3週間は掛かるだろうとの事でした。

幼い頃、腕を骨折した事が有ると聞いていますが、当時の記憶は全く無い為、実質初めての骨折と言って良いかもしれません。

自然治癒を待つしかないそうなので、ここから長い療養生活が始まりました。

第75話.香川本鷹始めました~収穫・乾燥編~

知識不足・経験不足で思い描いていた通りには行きませんでしたが、それでも9月半ば、初めての収穫を迎えました。
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ただし、赤くなった唐辛子を全て摘む訳ではありません。

ヘタが付いている太い方を触ってみて、耳たぶみたいに柔らかくなっていたら熟している証拠と、手島の高田さんに教わりました。

その基準に従って収穫をしているので、赤くても柔らかくない物は暫くそのままにしておきます。

僕の何となくの基準ですが、熟すのを待つ意味で、収穫は週1回のペースにしました。

それ程の株数ではないのに、熟した実を探しながら摘んで行くので結構な時間が掛かります。

そして、収穫した唐辛子は乾燥させます。

生で売る手も無い訳ではないですが、船に乗って車に乗って、少量の物をスーパー等に持ち込んでも利益は出ないでしょう。

乾燥させれば日持ちもするし、何より粉末にして売るには不可欠な作業なので、そちらを選択しました。

さて、肝心なのは乾燥させる方法です。

先のブログで書いた通り、機械を導入するのはハードルが高過ぎます( ´~`)

志々島で昔、練炭を使って乾燥をさせていたという話も聞きましたが、「その装置をどう作る?何処に作る?」と二の足を踏んでいる内に、時間だけが過ぎて行き…。

結局、今年は天日干しで凌ぐ事にしました(^^;)

で、ブルーシートの上に広げて干すつもりで、大きなブルーシートまで買いました。

が、直接唐辛子を広げたら、仕舞う時に手間が掛かるなと思い直し、ケースやネットに入れた状態で出し入れする様になりました。

雨に降られてはいけないので、夜間は必ず屋根の在る所へ避難させるからです。

ブルーシートはお蔵入り(苦笑)

ちなみにケースは、島内の廃屋で見つけた仕出し弁当の箱です。
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また、直接ではなく新聞紙を敷いた上に唐辛子を広げると、水分を吸着するので乾燥を早めるなんて事も言われています。

昔は筵(ムシロ)を使っていたみたいですね。

そんな風にして、出来る限り日中は陽の当たる場所に出す様、心掛けていました。

しかし、ごく最近になって陰干しにした方が良いなんて情報を目にしました。

陽に当てると変色しちゃうとか何とか?

正直、何が正しいのかよく分からなくなっています(苦笑)

第74話.夢のmy car!~後編~

「逃げ出したい」

でも、志々島には逃げ場すら有りません。

島から追放される覚悟で、再度の自損事故を自治会長さんに報告しました。

無惨にめくれたバンパーの写真を見て、自治会長さんは言いました。

「これはアカン!」

そんな瞬時のリアクションこそ有りましたが、僕を咎める言葉は一切有りませんでした。

更に、車が直ったらまた乗って構わないとも言ってくれました。

ただしバンパーの交換は必要で、もちろんそれは弁償させて貰いました。

しかし僕の中では、もはやそういう問題ではなくなっていました。

人様が大事にしている物を壊してはいけないし、二度とこんな思いはしたくない。

となれば、取るべき行動はただ一つ。
そう、自分の車を買う事です。

決まった仕事も無いのに車を所有するなんて、正直クレイジーだと思います。

でも、それが一番スッキリするなと。

そして、車を買うなら増税前のタイミングしかないとも常々思っていたので、その時が来たのだと勝手ながら解釈しました。

良くも悪くも、こうと決めたら一気なのが僕の持ち味。

翌週には、知り合いから紹介された中古車店へ足を運びました。

事前にイメージしていたのは、ワゴンR的な荷物が沢山積める軽自動車です。

その店にも2年の車検が付いた黄緑のTANTOが格安で売られており、興味をそそられました(色は別としてw)。

しかし、それよりも気になったのはスズキのeveryという車種。
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後部座席を倒せば畳も余裕で積める広さで、TANTOとは比べ物になりません。
ちなみにeveryは、貨物車両に分類されるとの事。

あっちこっちの店を回っても、目移りして時間ばかりが過ぎて行く。

そもそも地方では、点在する店を回る事自体が容易ではない(笑)

これからどんな仕事をして、何に車を使うかも分からない僕ですが、どう転んでも良い様に実用性を重視して考えたら…自ずと答えは出ました。

なので、その場で即断即決!

こうして僕は、生まれて初めて車(貨物車両)のオーナーになりました。

結果的に、想定していた金額より10万円は上回りましたが、もうどうにでもなれです(苦笑)

とにかくこれで、その気になれば何処へでも行けます!

まあ、高速乗るのとかは少し不安ですけどね…(^^;)

第73話.夢のmy car!~前編~

志々島に移住を決めた理由の一つが、「車が走っていないから」でした。

ペーパードライバーとして生きて来た僕にとって、免許は単なる身分証明書。

車には興味のカケラも有りませんでした(笑)

だから、車を必要としない志々島での生活は願ったり叶ったり、と思っていました。

しかし実際は、四国本土に渡ってしまうと車無しでは何かと不便( ´~`)

なので時々、自治会長さんの車を貸して頂いていました。

さて、話は8月の終わりまで遡ります。

僕の生活を案じた知り合いの方(Mさん)が、草刈りのバイトを紹介して下さいました。

如何せん広い土地なので、何日間かに分けて通いでの作業となりました。
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その現場までは自治会長さんの車で行っていた訳ですが、草刈り機を定期船に乗せると、片道200円取られる事が判明(ー_ー;)

そこで、草刈り機はMさん宅に置かせて貰い、行きと帰りに寄って行くという形を取る事にしました。

そんなある日の朝。

Mさん宅の前は車の対向が出来ない程の細い道。
その向かいの空き地に停車する為、バックしてお尻から突っ込もうと試みた所…。

ガリガリガリッ!!

車の前方左側を塀に擦って、ボディに傷が!(*_*)
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とんでもない事をしでかしたと思い、直ちに自治会長さんに連絡しました…。

が、寛大にも笑って許してくれました。

後で調べてみると、ちょっとした傷ならばDIY等でお金を掛けずに直せる様だったので、ホッと胸を撫で下ろしました(^^;)

しかし、そう思ったのも束の間。
それから2日後、帰り道での出来事です。

草刈り機を預ける為、Mさん宅の前に車を停めようとしました。

ここで、過ちを繰り返す訳には行きません。

やり方を変えようと考え、朝は空き地に頭を突っ込んでからバックで停車位置まで持って行くという方法で成功しました。

ただそれと同じ事をすれば良い、はずでした。

が、何かが微妙に違ったのか、右側の窓に植え込みの枝葉が当たるのに気付きました。

またボディに傷を付けてはなるまいと、木から車を離す為に何度か切り返しを試みたものの、紙運転手の技術では思う通りに行かず(~_~;)

ここで、「ちょっとくらい木の枝が折れてもイイかな?」と悪い気を起こしたのが運の尽きでした。

思い切ってバックを続けてみると…。

メキメキメキッ!!

枝の折れる音と共に、車は道側に抜けました。

ボディに傷が付いてないか心配して車を降りてみると…信じられない光景に我が目を疑いました。

バンパーの右側が見事にめくれ上がっているではありませんか!Σ(×_×;)!
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太い枝が地面に横たわっていましたが、あのメキメキ音はそれだけではなかった訳です。

状況から察するに、窓からは見えない下の方に伸びた木の枝にバンパーを引っ掛け、そのままバックして、ゆっくりジワジワとバンパーを破壊したと思われます。

事情を知らない人が見たら、猛スピードで電柱にでもぶつかったんじゃないかと誤解するでしょう。

同じ場所で同じ失敗をするなんて、開いた口が塞がらないとはこの事です。

当然ながら自治会長さんに報告しなければいけません。

志々島までの帰路は、死刑台へと続く階段を登る様な気持ちで一杯でした…。


つづく

第72話.香川本鷹始めました~手島修行編・その2~

先ず始めに、ちょっとだけ手島をご紹介します。

地図で見た限り、面積は志々島の5~6倍。
島の中央部に平地が広がり、東西を結ぶ道が横断しています。
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島民は現在25 or 26名?(高田さん情報)
今年、30代の陶芸家4人が移住して来て、島おこしの為に様々な活動をしているとか。

志々島同様、お店は一つも無いですが、悔しい事に自動販売機は有りました(笑)
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それと、高田さんが管理する廃校を利用したゲストハウスも在ります(格安!)
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さて、ここからが本題。

高田さんの畑では現在、約2千株の唐辛子を栽培しており、収穫して乾燥させるとおよそ200kgになるとの事でした。
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四国本土に住んでいれば生で売る手も無い訳ではないですが、離島となると乾燥させて日持ちする様にするのが常套手段です。

そしてここで、如何に自分の育て方が間違っているのかを思い知らされました( ´~`)

先ず高田さんの畑では、株間も畝間(うねま)もかなり狭く植えられていました。

株が密集していれば、自身の葉っぱが地面に影を作り、水も乾きにくくなるそうで、実際高田さんは株が大きくなってから水をやっていないとの事。

また、お互いが支えになり風避けにもなって、強風でも倒れにくいという利点も。

一方僕は、農業試験場?が作った手引きに従って畑作りをしたのですが、株間は50cmで畝幅・畝間は共に60cmとした為、日照りにも強風にも弱い畑になってしまいました(^^;)

が、そもそもの問題は苗作りにあります。

熱心な読者の皆さんならご存知でしょうが、草むらの中から発掘しなければならない環境で育った苗が、丈夫に育つ訳がありません(苦笑)

植え替えはしたものの、充分成長しない物やあっさり枯れてしまう物も少なくなかったです。

高田さんの所では、農電ケーブルを用いた電熱温床で苗を夜間も温めているそうで、そういった所でも生育に大きな差が出たのだと思います。

さて、一番の課題は前述の乾燥です。

天日干しをした後で乾燥機に掛ける様な話も聞いていましたが、高田さんの所では機械だけで乾燥を行っているとの事。

100kg分を一気に乾燥させる事が出来る代物で、40度と50度で合計50~60時間も加熱するのだとか(*_*)
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天日干しは手間も時間も掛かるし、上手く乾燥させるのが難しいからだそうです。

高田さんの唐辛子作りは行政と組んでのプロジェクトだったので、機械は補助金で購入したとの事です。

今年は間違いなく沢山の収穫は望めないし、何処かで機械を借りれるとしてもコスト高になりかねないので、天日干しで乗り切ろうと思っています。

これを志々島に導入するには…幾つものハードルが有りますね(ー_ー;)

もっと早く手島に来れば良かったと悔やみつつ、再び荒海の中を帰って行きました(苦笑)

第71話.香川本鷹始めました~手島修行編・その1~

決して順調とは言えないまでも、育つには育っている僕の香川本鷹。

が、収穫・乾燥という今後の工程についての知識が乏しく、色々と不安を感じていました。

そこで、本鷹復活の立役者の一人である高田さんという男性に会う為、丸亀市の手島(てしま)を訪ねる事に決めました。

が、当の高田さんはゲストハウスの運営までするお忙しい方で、8月に手島を訪ねる予定が延びに延び、この9月にようやく会える運びとなりました。

手島までは丸亀港から船で向かうルートが有りますが、船だけでも片道1時間程度。
そもそも、丸亀へ行くにも結構時間が掛かります。

そこで僕は、志々島から直接船で手島に行くのが近道だと考え、自治会長さんから漁船を借りて手島へ向かう事にしました。
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スピードの遅い漁船では、1時間前後掛かるのでは?というのが大方の予想でした。

ちなみに手島は、志々島から見て真北の方角で、香川と岡山の中間に位置します。

しかしこの日は、台風15号が関東に向かって北上中。
四国にも多少の影響が有り、風速は3~4mという予報でした。

同程度の風の日に、定期船や海上タクシーに乗った経験は有りますが、いずれも人の操縦する船に乗っていただけ。

ただ、自分一人でその波風に挑むのは、これが初めてです。
しかも、今回の様な長距離航海も初めて(^_^;)

なので、少なからず覚悟はしていたつもりです。

が、いざ海へ出てみると…波の激しさは想像を越えていました(*_*)

漁船は操縦席(正確に言うと席は無いですが)を除いて囲いが無い為、海上タクシー等に比べるとかなり無防備で怖さは倍増します。

真横から波をまともに受けると転覆の恐れが有るので、波に対して船を斜め方向に走らせようと努めたり、島陰に入って風を凌いだりと、死なない様に試行錯誤しながら、北へ北へと向いました。

そして、命からがら手島の港に入港!

…が、まだまだ操船技術が未熟なので、波の強い状況下で船着き場に着岸するのが難しく、何だかんだで15分以上格闘する羽目に(ー_ー;)

こうして遂に、手島への上陸を果たしました(T_T)
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普通に1時間立ちっ放しで操縦するだけでも疲れるのに、荒波との闘いで神経も磨り減らし、疲労困憊とはこの事です(苦笑)

「家に帰るまでが遠足だ!」という名言が有りますが、「現地に着くまでも遠足だ!」という言葉も新たに歴史に刻まれました(嘘)