6/13は、言わずと知れた三沢光晴の命日。
海外アーティスト好きな人にとっては、翌日のM.ジャクソンの命日の方をより強く記憶しているかもしれませんね。
そんな事も有り、毎年この時期になると「死」について考えずにはいられないのですが…。
6/14の今日、志々島(ししじま)で81歳のおばあちゃんが亡くなりました。
その方は島の出身で、近年は四国本島に住所を置いていましたが、畑をやる為に頻繁に島に帰って来ていました。
山の中腹の畑まで登れる程の健脚でしたが、正にその畑で倒れている所を発見されました。
まだ正確な死因等は分かっていません。
が、発見時には既に体が硬直して冷たくなっていたそうで、早朝に畑に出たのでは?と推察されています。
僕も少なからず面識が有ったので、かなりショックを受けました。
でも島のお年寄り方は、「早く見つかって良かった」とか「病気で苦しんで死ぬよりも良かったのでは?」といった反応でした。
また、折しも今日は月に一度の「お寿司の日」でしたが、中止になる事も無く普通に行われましたし、自治会長さんのお友達が近々遊びに来るとの事なので、一緒に漁へも出ました。
大きな出来事が有った割には、総じてクールな印象を受けました。
島の大半はいわゆる高齢者で占められているので、皆さんある種の「覚悟」をお持ちだからかな?とも思いました。
が、ひるがえって自分の事を考えるに、父親を亡くした時に涙を流した訳でもないし、お腹も減ったし。
翌日の大晦日には「ガキの使い」を観て笑っていたし、至って普通に過ごしていたなと。
身近な人が亡くなって悲しくない訳がない。
でも、生きている人には日々の生活が有るし、明日が有る。
むしろ亡くなった人の分も、歩みを止めてはいけない。
…なんて、結論が出るはずもない様な事を、色々考えさせられた一日でした。