せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第131話.3年目を振り返る~後編~

「田舎に移住したら幸せでした」という番組タイトルですが、実はロケが終わった後で決まった物でした。

それを聞いた時、悪い予感はしていました。

案の定、僕が発した数少ない前向きなコメントが切り取られて使われていました。

苦労アピールするつもりはありませんが、単に「幸せに暮らしてます」と思われるのは最も避けたい所でした。

放送後、移住を希望する人達からの連絡が少なからず有ったそうです。
「移住希望者」と「移住を実行する人」とがイコールでない事は、これまで見て来てよ~く分かっています。

しかし、たとえ僅かな人達相手だからと言って、誤ったイメージを植え付けるべきではありません。

志々島の良い所も悪い所も知って貰い、その上で移住を検討して欲しいというのが僕のスタンスです。

テレビ番組は、制作陣の思い描くシナリオに沿った部分を切り貼りして、一つの作品を仕上げるものだと思っています。
この横断幕も、局側が用意してくれた物です。

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それ自体を否定するつもりはありませんが、報道やドキュメンタリーチックなバラエティーは視聴者が真に受ける恐れが有る為、自分達の影響力というものをよく考えて欲しいです。

ちなみに、僕個人への反響で言いますと、公式サイトとブログの閲覧数が直後に少し上がっただけで、商売に関してはほぼ無風状態です(苦笑)

ティッシュ配りの「打率」を考えたらこんなもんでしょうが、PR効果が無いなら僕が取材に応じる理由はもう無いかなと。

さて、ここまで来てようやく本題である振り返りをします。

この一年を一言で表すならば、「骨折り損」でしょうか。

レモン畑にしようと開拓した土地には待ったが掛かり、唐辛子の苗床にと作ったビニールハウスや壇上(だんえ)の貯水装置は強風で吹き飛ばされ、やむを得ず殺虫剤を使った綿花はオーガニックじゃなくなり、雑草取りに精を出したミシマサイコの畑は殆んど発芽せず。

唐辛子等の商品作りに関して言うと、ノウハウを得るという意味では一歩前進したかもしれません。

が、それらがちょこっと売れた所で、正にお小遣い程度の稼ぎ。
生計を立てるという目標には遠く及びません。

今年と来年、この2年の内に何かしらの糸口を見付けないと、いよいよ身の振り方を考えなければならなくなるでしょう。

移住して良かったと思える事は、もちろん有ります。
しかし、まだまだ戦いの真っ最中。

だから、人から「幸せですか?」と尋ねられても、「まだ分かりません」と答える様にしています。

生計が立てられるその日まで、「移住したら幸せでした」なんて事は口が裂けても言いませんよ(笑)