せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第136話.右肩下がり

志々島で昨年、90代のおばあちゃんが亡くなりました。
もちろん残念な事ですが、年齢を考えれば大往生と言っても良いでしょう。

これにより島民は19人。

更に先月、2人の男性が島を去りました。
どちらもいわゆる「移住組」で、対岸の町の同じ職場に勤めていました。

1人は40代後半(以下、Aさん)で、移住してほぼ2年というタイミングでした。
もう1人は60代半ば(以下、Bさん)で、5年ほど島に住んでいました。

志々島には仕事が無いので、収入を得るには出稼ぎに行くのが近道です。

しかし、定期船のダイヤの都合上、朝早くに島を出て、普通よりも早く仕事を終えて夕方前には帰らないといけません。

出稼ぎするには不便この上無い環境で、メリット全く無いでしょうね(苦笑)

ただ、Aさんが島を出た理由はそれだけではありません。

Aさんは、島内でのボランティア活動や行事を煩わしく感じていた様です。

町内のゴミ拾いや神社の草刈り、年2回の大きなお祭り等が挙げられます。

特にAさんの場合、島に移住する前後でトータル1年ぐらい仕事が出来ない状況が続いていた為、お金にならない事に時間や労力を奪われるのが歯痒く感じたのではないでしょうか。

僕も東京で独り暮らしをしていた頃は、アパートの隣人の顔や名前すら知りませんでした。

当然、町内会や自治会なんて物とは無縁で、そうした地域活動に巻き込まれていたら、面倒臭がっただろうなぁと想像出来ます。

でも、縁もゆかりも無い土地にやって来て住まわせて貰っている今は、「郷に入れば郷に従え」の精神で、出来る限り歩み寄るのがマナーだと思っています。

はい、優等生ぶってゴメンなさい(笑)

また、Aさんにはお年寄りからの「期待」も重荷になったかもしれません。

Aさんは釣りが趣味でした。
釣りをしてのんびり過ごすつもりだったのに、「アレして欲しい、コレして欲しい」と頼まれる始末。

島に来たばかりという立場上、断り切れない事が多々有ったと思います。

想い描いていた暮らしとのギャップに、頭を悩ませている様にも見えました。

志々島で40代と言えば、バリバリの若手です。
高齢者ばかりの過疎地に若者がやって来たら、期待するなと言う方が無理な話です。

田舎への移住を考えている方は、そういう面が有る事も頭の片隅に置いておくと良いかもしれません。

一方、Bさんは人間関係が上手く行っていなかった様子で、島に居るのが窮屈そうに見えました。

一人で思い切った決断が出来るタイプの方ではありませんでしたが、Aさんが島を出ると聞き、我が意を得たりと追従したんじゃないかと思います。

…と、色々と知った風な口をききましたが、島を出る理由を二人から直接聞いた訳ではありません。

これまで見聞きした情報を元に、僕が勝手に推理しただけの話です。
もちろんそこには本人達の言葉も含まれているので、大きくは間違っていないと思います。

でも、100点満点の正解とは言いませんので、悪しからず。

最後に、今回の件についての感想を述べます。

先ず、お二人は良い選択をしたと思います。
やり直すなら早いに越した事は無いです。
加齢は待ってくれませんからね(笑)

それと、島内で何か一緒に取り組んでいた訳でもないので、僕個人としては特に影響無いです。
どうぞお達者で、の一語に尽きます。

僕もこの先、何を考えどの様な選択をするか分かりませんが、島で暮らして行ける様、まだもう少し粘りますよ。