せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第158話.ミシマサイコ~種収穫編~

これまた話は、昨年まで遡ります。
12月半ばになり、あの一面の黄色い花畑が茶色く色づき、ようやくミシマサイコが種の収穫時期を迎えました。
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去年は11月の終わりだったので、半月は遅いです。
この頃は暖かい日が続いていたので、それが原因かと思います。

これが後々響いて来るのですが…その時はまだ知る由もありませんでした。

改めて説明しますと、漢方の材料になるのはサイコの根っこで、種が材料になる訳ではありません。

ただ、根っこと同じ金額で買い取って貰える為、大事な収穫物です。

とは言え、買い取り額は重さで決まります。
サイコの種は、ゴマ粒よりも更に小さく軽いので、「塵も積もれば山となる」を地で行く様なものです(苦笑)

収穫は、地面から10~15cmだけ残して、そこから上の部分をマルッと刈り取ります。

少し残しておかないと、肝心の根っこが何処に行ったか分からなくなるから、というのも1つの理由です。

5アール(約500㎡)の畑いっぱいではありませんが、それでも一人で収穫するには大変な量でした。

そんな僕の元に「助っ人」が。

三豊市長が職員の方々を引き連れて、再び志々島にお越し下さいました。
総勢10名以上は居たと思います。f:id:goumonkobura:20220117181300j:image

僕も事前に収穫を進めていましたが、人海戦術とはよく言ったものです。
お手伝い頂けたのは2時間足らずだったにも関わらず、かなりの「大漁」でした。

しかし、「敵」もさるもので、全てを収穫するには至りませんでした。
当然の話ではありますが、残りは僕が責任を持って収穫しました(^^;

さて、収穫した物は高台から運び下ろし、僕の家の母屋と隣りの空き家の2ヶ所に分けてて、強引に押し込みました。

そういった物を保管出来る倉庫すらない、というのが志々島の実状です(苦笑)

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これは母屋の大広間ですが、サイコで埋め尽くされました。
写真じゃ伝わらないのは百も承知です( ´~`)

これらを全て脱穀し、種だけにしなければなりません。

その為に市の職員さんが、どこぞの資料館から昔ながらの脱穀機を借りて、島まで運んで来てくれました。

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足で踏むと回転する仕組みで、本来は稲の脱穀に使われる物です。

がしかし、収穫したサイコの地上部は稲の様に長くないので、手で持っておくのが難しいです。

加えて、本来は一定の乾燥期間を経て脱穀するべきで、直ちに試みても種が落ちにくく、遅々として作業は進みませんでした。

これでは埒が明かないと、知り合いの農家さんに相談。

やはり1~2週間乾燥させてからの方が種も落ちやすくなるとアドバイスを受け、一旦年明けまで作業をストップする事にしました。

乾燥を待つ間に、前回お話した粟島のバイトへと行っていた訳ですが、この選択が後々響いて来る事を、その時はまだ知る由もありませんでした…(2回目w)