せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第191話.本島リベンジ!~後編~

丸亀市に属する離島「本島」は、周囲16.4km。
瀬戸大橋の直ぐ近くに有ります。

最新のデータではないですが、島民は約280人。塩飽諸島と呼ばれる島々の中では恐らくトップです。

瀬戸内海の交通の要衝として、昔はとても栄えていたそうです。

島の北東部に位置する「笠島地区」は、穏やかな傾斜地に110棟余りの家が建ち並んでいます。

昭和60年に島しょ部としては初めて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。f:id:goumonkobura:20221213045732j:image
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f:id:goumonkobura:20221213045858j:image撮った時はそれっぽい写真が撮れた気になっていましたが、イマイチ分かりにくいかもですね(^^;)
まあ、いわゆる小江戸の雰囲気です。

通りは道幅が狭く、網の目のように走っています。
東寄りを南北に走る道を「東小路」 。

これと直角に海岸とほぼ平行にして弓なりに延 びる道は「マッチョ通り」と呼ばれています。
町通り(メインストリート)が変化して、マッチョ通りになったんだとか。f:id:goumonkobura:20221213045954j:image間違いなく高齢化は進んでおり、資材の調達等も容易ではない環境で、こうした景観を維持・管理するのはさぞ大変だろうと推察します。

有名なのは塩飽勤番所(しわくきんばんしょ)と言う旧政庁で、塩飽水軍の本拠地だった名残りですね。
立派な建物…だろうと思います。

「だろうと思います」と言ったのは、今回も勤番所に行けなかったからです。

前に一度来た時は、島の南部から上陸しました。
が、笠島地区までは距離が有り、レンタサイクルで行くのが定番です。

しかし、大雨に見舞われてサイクリングどころではなく、お客さんにとっては散々なツアーになりました(^^;)

一方、今回上陸したのは島の北東部で、笠島地区の最寄りです。

が、笠島地区は意外と広く、勤番所まで少し遠かった為、僕がコッソリ行って帰って来る時間は有りませんでした。

今は塩飽水軍の資料館になっているとの事なので余計に興味が有りましたが、引率側が観光を楽しもうというのがそもそも間違いです(笑)

今回のお客さんはご年配の方々で、大学の頃からの仲だと言っていました。

当初は一日曇りの予報でしたが、本島に到着する前には青空が広がり、行楽日和となりました(^_^)v

クルージングも含め、終始楽しんで頂けたご様子で良かったです。

さて、ここからはオマケの話。

自治会長さんから事前に、「お昼は本島の屋形船で食べるで~」と言われていました。

屋形船!Σ(゚□゚;)

確かに笠島地区の雰囲気にはマッチしますが、本島にそんな大きな川が流れているとはつゆ知らず。

何より、志々島と比べたら観光客は多いにせよ、屋形船を年間通して運営出来る程の「体力」は有るのだろか?と疑問に思えました。

で、分かってしまえば答えは簡単。
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「やかた船」という名前の宿兼お食事処でした┓( ̄∇ ̄;)┏

おしまい