せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第203話. 友来たる

東京の小中学校時代の同級生が、愛媛県のとあるお寺に婿入りしたのが(恐らく)今から16年前の事。

志々島に移住する以前、純粋な観光で愛媛に行った時に1回。

移住を決めた直後、近所と言うには遠いけれどもやっぱり「お隣さん」なので、報告をしに行ったのが1回。

つまり、この7~8年の内に彼とは2回会っています(以降、Y君)。

いずれも「お接待」を受ける形で、すっかりご馳走になってしまいました。

なので最後に会った時に、「船を自由に操って、漁で魚も獲れる様になったら、志々島に招待してお返しするよ」と約束して別れました。

そして移住から丸5年が経ちましたが、何も成し遂げていない自分が居ました(苦笑)

しかし、前回のブログで述べた様に、この先どうなるかも分からぬ身の上なので、お礼をするなら今このタイミングしかないと考え、Y君を島に招待する事にしました。

お坊さんという職業柄、Y君も平日なら比較的休みを取り易いとの事でしたが、如何せん急なお葬式等が入ると来れなくなるかも?といった状況。

来島の第一候補は、4/6~4/7の二日間。
直前の予報では、曇り気味だけれど両日共に雨は夜中から明け方に掛けて降るだけとなっていました。

Y君から、「月の後半も行けそうな日は有る」と言われていたものの、天気も仕事もその時になってみないと分からない。

ならば、確実に来れる時に来て貰った方が良いだろうと、半ば強引に招待する日を4/6と決めました。

状況を見て判断するつもりだったので、ゲストハウスは予約しませんでした。
僕の家に泊めて、食事もして貰おうという算段です。

迎えた当日。
漁船を借りて、最寄りの港までY君を迎えに行きました。
f:id:goumonkobura:20230422155830j:image彼はアウトドア派なので、準備万端な様子。
ウチには寝床が1つしか無いと聞いて、いざとなったら寝袋を持って来るつもりだったみたいです(笑)

確かに寝床は1つですが、僕はこたつ&座椅子が一番よく眠れるので、布団はY君に譲りました(o´∀`)b

それはさておき、翌日の午前中は雨予報になった為、その日の内に島内観光を済ませてしまおうと、数少ない観光スポットを全て回りました(半日で充分)。
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f:id:goumonkobura:20230422155936j:image食事は前日から用意していた猪肉カレーや、今が旬のボラを使った味噌仕立てのスープ。

野菜も、島の畑で採れた物を多少使いました(人からの貰い物ですが)。

そんな風に、事情の許す範囲で地の物を食べて貰おうと努めました。
ちなみに写真は有りません(笑)

計4食振る舞いましたが、人に料理を食べて貰うのは人生で2~3回しか経験しておらず。

当然ながら普段より洗う食器が多く、世のお母さん達は大変だろうな~と思いを馳せたりしました。
この点は独り身のメリットですね(苦笑)

そして翌日。
予報が変わって、昼になっても雨は止みませんでした。

雨が降ったら何も出来ない、という島の日常を知って貰う機会になったとは思います(笑)

ともあれ、出来れば三豊市の周辺観光にも連れて行ってあげたかったので、雨が上がる事を祈りました。

すると、次第に雨が弱まる予報に変わったので、そのタイミングを見計らって島を脱出しました。
f:id:goumonkobura:20230422160003j:image※写真はY君による隠し撮りです(笑)

が、船を出して暫くすると、再び雨が(>_<)
Y君に操縦席の窓を拭いて貰って視界を確保しつつ、どうにか対岸の港に到着。

しかし、弱まるどころか更に風雨が強まり、行ける所も限られてしまいました(^^;)

ホントは父母ヶ浜や高屋神社にも案内したかったのですが、観音寺市銭形砂絵だけ一緒に見て終了。

Y君とはそこでお別れしました。

5年振りの再会に、もちろん感慨深いものは有りましたが、その時はホスト役を務め終えた安堵感が強かったです。

でも、少し時間を置いてからこうして文章をまとめている内に、小学校の頃の事が思い出されたりして、再会の地が香川県の離島になるとは、人生って面白いなぁとつくづく感じました。