せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第216話. 里山を行く

里山」とは、集落や耕地の周囲の山の事を指します。
そして、志々島が属する詫間町にも、幾つかの里山が在ります。

地元のNPO法人が制作した冊子(PDF)が有るので、詳しくはそちらをご覧下さい( ̄∇ ̄)
https://takumatai.jp/satoyama-map/

山ではないですが、志々島の「横尾の辻」も里山の一種?として紹介されています。

さて、4月半ばの或る日。
かねてから里山に興味を持っていたので、重い腰を上げて独りハイキングに出掛けました。

最初にトライしたのは博智山(ばくちやま)。 標高は237mです。
登山道入り口の公園の桜は、ギリギリ残っていて綺麗でした。
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山頂近くには、巨石・巨岩がゴロゴロしていました。
僕はこういうのが好きでして、広島県宮島の弥山(みせん)を思い出しました。
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特に「八畳岩」と呼ばれる岩は、文字通り八畳サイズの平らな岩場で、ふちギリギリに立って見下ろす景色は壮観でした。
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次にトライしたのは塩生山(はぶやま)。
標高は141mで、その昔は塩田が広がっていた塩生地区に在る山です。

たまたま、山道を整備する地元の方に会ったので、お話を伺ってみました。

その方によれば、本当は塩生山ではなく、高尾戸山(たかおとやま)が正式名称なんだそうです。
しかし、他所の人達が勝手に呼び名を変えてしまったと嘆いていました(苦笑)
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山頂の桜(ソメイヨシノ)は散り始めていましたが、まだまだ見頃で綺麗でした。
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また、麓付近の竹林を地元住民が伐採して山桜の植樹を行なっているそうで、その数は既にウン千本になるとか( ̄□ ̄;)!!

ソメイヨシノよりも開花が遅いらしく、この日は花を拝めませんでしたが、いつかは見てみたいものです。

で、ここまでが午前中の話。

昼は善通寺市に移動して、「五岳の里」という公園でネモフィラを見ました。
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山の上とは違って、こちらのソメイヨシノは完全に終わっていました。
この公園の事をニュースで知ってから1週間近くは経っていた為、それはやむを得ずですね(^^;)

これで帰るつもりでしたが、船の時間まで結構余裕が有りました。

そこで、頑張ったらもう一つ里山を登れないか?と思い、再び詫間町へ戻りました。

この日、最後にトライしたのは高尾木山(たこぎやま)。標高は270mです。
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午前中登った山と比べると高いし、片道何分掛かるかも読めなかった為、とにかく全速力で登る事にしました。

が、終盤は急勾配の坂で、且つ足元は砂や砂利でサラサラして滑り易く、ロープ無しに登るのは困難な所でした(苦笑)

それでも頑張った甲斐が有り、予想よりずっと早く山頂に到着。
流石は標高が高いだけあって、この日一番の眺望が待っていました。
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さて、後は下山するのみでしたが、ここで落とし穴が。

登りで急ぎ過ぎたのが災いしたのか?
それとも、山3つ分のダメージが蓄積していたのか?
下山に移った途端に膝裏に痛みが出て、足を引きずる様な状態に(*_*)

こんなペースで果たして船に間に合うだろうかと、一抹の不安を覚えました。

幸い、勾配が緩やかなゾーンまで戻ったら足の痛みも落ち着き、乗り遅れの危機は脱しました(苦笑)

今回、3つの山を回ってみて分かったのは、どの山道も整備が行き届いているな~という事です。
その裏には、日々の維持・管理に勤しむ地元住民の存在が有るのは自明の理です。

それは志々島についても同様で、島に住む或るご夫婦が一年を通して、大楠や横尾の辻に向かう道の整備に努めてくれています。

僕や他の住民が何もしていない訳ではないですが、全体を考えたらごく一部に過ぎず、そのご夫婦が居なかったら志々島はジャングルに成りかねません(苦笑)

ただ、ご夫婦共々70代なので、限界が来る日もそう遠くはないでしょう。

その時は、島の若手住民(60代までは若手w)が引き継いで行かねばならんぞ、という想いを新たにしました。
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※写真は、横尾の辻からの眺めです