せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第127話.志々島天空大根~切り干し編~

大きく育った大根は家に持ち帰りました。

コンテナと頂き物の背負い籠とを駆使しても、一度に運べるのは25~30本が良い所。
大根は想像以上に重かったです(^^;

さて、持ち帰った大根は洗って泥を落としてから、切り干しにしました。


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ブログに書いた気もしますが、切り干しは去年も作っています。

ただし、トウが立って捨てられた大根を拾い、自己流で切って作った物なので、お世辞にも美味しいとは言えませんでした(苦笑)

一方、今回は質の良い大根を使い、且つ志々島最高齢のオバアちゃん直々に教えを受けたので、これはもう初めて作るに等しいでしょう。

最終的に厚みや長さが揃えば良いのですが、効率的な切り方を教えて貰うと、やっぱりスピードが違います。
大根を切るのに適した包丁とまな板まで貸して頂きました。

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とは言え、一度に25本前後の大根を処理するので、朝から夕方まで掛かりました(^^;

で、切った大根は人様の敷地を借りて、天日干しにしました。

戸板にネットを張り、その上に大根が重ならない様に広げます。

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朝や昼間の日差しより、西日を浴びるのがより効果的だとか。

量が多いので、三段式のネットも3つ使いましたがまだ足りず。

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もう1ヶ所、同じ様なセットを用意して、ようやく干し場を確保出来ました。

途中、重なったりくっついたりした大根をほぐしつつ、4~5日で大体カリカリの状態になります。

この様に、切って干しての作業を5回ほど繰り返しましたが、2回目の天日干し中。

夜中に結構な雨が振り、干していた大根が濡れてしまいました( ´~`)

それをもう一度広げて干していれば、何事も無かったと思います。

がしかし、次がつかえていたので、袋状のネットに入れて軒先にぶら下げておいたら、生乾きの物は茶色くなって駄目にしてしまいました。

んー、勿体無い(*_*)

さて、そんなに大量に切り干しを作ってどうするのかと言うと…もちろん売ります!

例によって、ラベルのデザインや袋の選定で四苦八苦しましたが、ようやく完成。f:id:goumonkobura:20210313131934j:image

日持ちはするものの、冷蔵保存しないと変色し易いそうなので、我が家の冷蔵庫は現在、切り干し大根に占拠されております(苦笑)

なので、色んな意味で早く売らねばなりません!o(`Д´*)o

既に、観音寺の道の駅(ことひき)・箱裏ビジターハウス・父母ヶ浜の瀬戸内キッチンには置かせて頂いています。

…と言っても、地元民以外はポカーンだと思うので、宜しければ「志々島産直市場」でお買い求め下さいm(_ _)m
https://shishijima.base.ec/items/40620031

第126話.志々島天空大根~収穫編~

読者の皆さんは、116話で取り上げた大根の事をご記憶でしょうか?
(忘れた方はこちらで復習を↓) https://goumonkobura.hatenablog.com/entry/2020/11/23/175228

昨年の10月半ばに種蒔きした大根が、収穫の時を迎えています。

ここに至るまでの間、水やりもしましたし、追肥もしました。

畑をするなら当然の事ですが、何せ数年間放置されて来た高台の畑。

周辺にはまともに使える貯水槽的な物が無く、出来れば水やりは避けたかったのが本音です。

が、年末に1ヵ月以上雨が降らない時期があった為、やむを得ず麓(ふもと)から水を運び上げました(苦笑)

ただし、同時にちょっとした実験も行なっていました。

それは、この畑に関する「特別な世話をしなくても立派な大根が出来る」という噂の真偽を確かめるものです。

具体的に言うと、畑を次の様な3つのエリアに分けていました。

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青枠のエリアは、水やりもするし追肥もする。
黄枠のエリアは、水やりだけ。
赤枠のエリアは、元肥えだけで以降は何もしない。水は「自然の恵み」を待つのみです。

青枠のエリアが突出して広いのは、その噂を僕が疑っていたからに他なりません(笑)

本当は、オバサン方が小まめに世話をしていたんじゃないかと。

さて、気になる実験結果ですが、ズバリ言ってしまうと「どのエリアの大根も特に違いは無い」でした。

ただし、時間の都合により味の比較は出来なかったので、あくまでも見た目的な評価です。

成長した大根は、太くてなかなか立派な物。f:id:goumonkobura:20210303125543j:image
土を深く耕せなかったので、長い大根は無理かも?と思っていましたが、少なからず出来ていました。

地中深く伸びて行けない分、逆に地上の方へせり上がったみたいです。

一方でエリアには関係無く、充分に育たなかったチビ大根も居ました。

ただそれは、間引いた苗を捨てるのが惜しい余り、空きスペースに詰めて植えてしまったのが主な原因です。 

基本に忠実にやっていたら、そこまで成長に差は出なかったと思います(苦笑)

ちなみにそのチビた大根は、沢庵を作るのには都合の良いサイズらしく、畑のそばで干しました。

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干すと軽くなるので、家に持ち帰る事だけを考えたら、全部こうするのが一番なんですけれども…そうは行かない事情はまた次回話します。

ところで、大根を抜いた時に感じたのですが、心なしか地中がネットリしている気がしました。
暫く雨が降っていない時でも、です。

僕が使わせて貰っている他の畑とは、その点が明らかに違います。

水分を含む地層が隠れている?
それが良質な大根が育つ秘密なのかもしれません。

大根の収穫は、まだもう少し残っています。

葉っぱを付けたままにしておくと、トウが立って筋張ったり硬くなってしまうらしいので、葉だけ先に切って今はこんな状態です。f:id:goumonkobura:20210303125704j:image

為になりますね~(笑)

これで急いで収穫せずとも大丈夫、と安心したのも束の間。

イノシシの被害が出ました(*_*)


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大根は食わないのかも?という淡い期待は打ち砕かれました(苦笑)

また次回作るとしたら、何か手を打たないといけませんね…( ´~`)

第125話.風と共に去りぬ

昨年10月に種蒔きをしたグリンピース。
随分とツルも伸びて、花も咲きました。f:id:goumonkobura:20210221161516j:image

順調に育っている…と言いたい所ですが、
気の休まらない日々を送っています。

何故なら、真冬になると風の強い日が多く、網に絡んでいたツルが外れてしまったり、以前ブログに書いた竹の支柱が傾いたり折れたりする為です。

雨で地盤が緩んでいる時に強風を受けると尚更です。

これはその一例ですが、見事に柱が斜めっていて、風上がどちらか一目で分かるでしょう(笑)

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先端を尖らせたとは言え、竹を地中に打ち込むにも限界が有ったので、ビニールハウスの骨組みにバンドで結び付けていなければ、とっくに倒壊していると思います。

頑張って作ったのでそれなりに満足していましたが、見た目だけで質が伴っていませんでしたね。

だから、強風の翌日には被害が出ていないか見回りをし、修復しては延命を図っています。

何とかこれで、収穫まで漕ぎ着けたいと思っているのですが…果たして?

さて、今回はこれで終わりではありません。

つい先週の水曜日の事。

前の晩は瀬戸大橋線が運休になったり、当日は定期船が止まったりと、四国地方も強風に見舞われていました。

僕はミシマサイコの畑で作業をしようと、朝から壇上(だんえ)に向かいました。

畑に辿り着くと、そこには何とも異様な光景が…。

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一瞬、事態を飲み込めませんでしたが、やがて全てを悟りました。

土台のコンクリートブロックもろとも、貯水装置が吹き飛ばされたのです(*_*)
元の位置から10m近く離れていたと思います。

ちなみにこれが、在りし日の貯水装置の姿(苦笑)

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お金をケチって細い角材で作った為、風でポキッと折れるのでは?という心配はしていました。

しかし、まさか丸ごと持って行かれるとは…。
自然の脅威をまざまざと見せ付けられました。

柱とブロックを地中に埋めていれば、トタン屋根だけ飛ばされて済んだかもしれません。

ただ、中途半端に壊れても逆に直すのが難しい気もするので、一から見直すにはこれで良かったんじゃないかと思います。

また余計な仕事を増やした自分に呆れはしたものの、正直ショックは大きくなかったです。

同じ様な経験を重ねて来たせいか、もう慣れたものです(笑)

それにしても、完成から7ヵ月ぐらいでしょうかね。
ビニールハウスの記録は更新しましたが、短い命でした(苦笑)

やらなければならない事が山積しているので、梅雨が来るまでに直せたら御の字、と今は思っています。

第124話.ミシマサイコ~プレイバック2020・その4~

種の収穫から約1か月後、根っこの収穫を行ないました。

種も買い取り対象とは言え、実際に生薬になるのは根っこなので、こちらが本来の目的です。

草丈が低いので想像はしていましたが…やはり根っこも短し( ´~`)

でも、田んぼを畑に転用して栽培している農家さんと比べると、根っこの太さや張り具合はなかなか良い様で、志々島の土地はサイコにとって悪くないみたいです。

よく洗って土を落としたら、後は乾燥させるのみ。

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パッと見、朝鮮人参みたいですよね?
今は納品の時を待っています。

話は前後しますが、種は年の瀬まで乾燥させてから脱穀作業を行いました。f:id:goumonkobura:20210211164632j:image

そもそも草丈が短いと機械で脱穀するのは難しいと聞いていたので、手作業で地道にやろうとは決めていました。 

少量だし簡単に終わるだろうと思っていたものの、これが大間違い。

「棒で叩いて種を落とす」との方法も手引きに書かれていましたが、実際言うほど種は落ちないし、飛び散ってロスも出ました。

なので、指先に挟んで種同士を擦り合わせる様にして落とす方法に切り替え。

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結果、大晦日と正月の2日間に渡る作業となりました(苦笑)

そこから、水にさらして浮いた物を取り除く選別作業を繰り返し、ようやく終了。

最終的に手元に残った種は、たったの200g。f:id:goumonkobura:20210211165121j:image

おおよその買取り金額は聞いていたので、
これらの作業に費やした人的コスト(自分自身の働き)を考えたら、はっきり言って大赤字です。

その時間だけ、バイトにでも行った方がはるかに有益だと思わずにいられませんでした(苦笑)

でも、経験を積む為に一度はやっておかなければならない事だったので、今回は我慢してやり抜きました。

そして今現在。

2月末の種蒔き(予定)に向けて、基肥えを入れて畑全面を耕しました。


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果たして、「二度目の正直」となりますかどうか?

発芽の時期を迎えた頃に、また報告します!

第123話.ミシマサイコ~プレイバック2020・その3~

その後はひたすら、雑草との戦い。

雑草を抑える「マルチ」という黒いビニールシートは売られていますが、お金も手間も掛かる。
加えて、その破片が収穫物に混入してはいけないと事前に言われていたので、使用は見送りました。

一日で一気に終わらすのは無理なので、日を分けて地道に取り組みました。
が、一周するとスタート地点の雑草が再び生え始めるという、典型的な「いたちごっこ」です。

そんなこんなで5月の半ばに。

しかし、幾ら待っても芽は出て来ませんでした。
発芽率の悪い作物とは聞いていましたが、流石にこれは悪過ぎです(~_~;)

辛うじて、畝の端っこの方にチョコっとだけ芽が出ているのを発見したものの、それで打ち止め。

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市役所の方の見解は、雑草に負けてサイコが死んでしまったのでは?との事。
結果、種の蒔き直しが決まりました(*_*)

その後も引き続き、除草作業に努めました。

暫くすると、蒔き直した種の発芽が多少は確認出来ました。
しかし、やはり時期外れだった為か、遅れを取り戻す様な成長は望めませんでした。

僅かに生き残ったサイコは点在していたので、一ヶ所に集めた方が世話しやすいとの助言に従い、畑の中央に植え替えました。

5アールの畑で始めたものが、10m程の長さの畝でたった3本分に納まってしまいました(苦笑)

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丁度この頃だったでしょうか。
何年か前からサイコの栽培に取り組んでいる農家さんが島に様子を見に来て下さって、上手く発芽しなかった原因について考えてくれました。

結論から言うと、畝に散布した除草剤が原因ではないか?というのが、その方の見解でした。

本来は噴霧器を使って、表面に薄く撒くのが正しいやり方。
ただ、僕の持っている噴霧器は、手動式のポンプでシュコシュコ圧力を掛けるのがしんどくて、且つ時間が掛かります。

そんな時、じょうろで撒いた方が早いんじゃないの?というアドバイスを受け、なるほど確かにと思い実行しました。

しかし、それによって表面だけでなく、地中まで除草剤が浸透してしまったのではないかと。
じょうろを使った分、必然的に量も多くなったと思います。

つまりは除草剤自体ではなく、その散布方法に問題が有ったと結論付けました。

それが本当なら、ほぼスタートと同時に終了を迎えていた訳です。
そうとも知らずにセッセと草むしりをしていた自分が、滑稽に思えてなりません( ´~`)

…と、何を言っても全てが後の祭り。
次回のチャレンジに向けて、やれる事をやるのみと開き直りました。

サイコの花が咲くと、その下に膨らみが出来ます。
その中には種が入っており、それもまた買い取り対象となるのは最初に説明した通りです。

花が咲いても膨らみが出来ずに、種を取れない株も少なからず在ります。

遠目から見て、全体的に赤茶色や紫色になった頃が種の熟した証拠で、収穫のタイミングです。

ただし、この時に収穫するのは種だけ。
地面から上の部分を刈り取って、根っこの方はもう暫く残しておき、収穫の時を待つのでした。

第122話.ミシマサイコ~プレイバック2020・その2~

サイコに取り組もうと決めたのは、昨年の2月。
畝立て・種蒔き等の作業を考慮すると、遅い位のタイミングでした。

加えて、耕作放棄されていた土地には、地下茎の発達した植物がはびこり、地表の雑草を刈ったぐらいで直ちに畑として使えるものなのか、甚だ疑問でした。

しかし、その時点でサイコを作るのに相応しいまとまった土地は他に無く、強行する以外の選択肢は有りませんでした(^^;

先ずは従来通り、石灰や肥料を撒いてから畑全面に耕運機を掛けました。
広さは約5アール(500平方メートル)。

家庭用の小さな耕運機だったので、パワー不足は否めません。
でも、大きな耕運機を高台まで運ぶのは至難の技なので、それで頑張るしかないというのが現実です。

1本の畝に対して、種を2列に蒔きます。
これを「二条植え」と言います。

耕運機のアタッチメントとして購入した畝立て機は有りました。
が、前述の二条植えをするには畝幅を広くしなければならなくて、自分の畝立て機の仕様とはマッチせず( ´~`)

その為、畝立ては全て手作業となり、かなりの時間を要しました。

種蒔きは、「ごんべえ」というアイテムを貸して貰いました。

車輪が付いており、畝の上を押しながら進むだけで、種を蒔きつつ軽く土を掛けてくれる優れ物。

サイコの種はとても小さく、これを決まった数だけ蒔けと言われても難しいし、腰を曲げずに済むので助かりました。
(写真は昨年採取した種です)

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種蒔きが済むと、次は除草作業。
指定された農薬は使ってもOK、と言うか使う事が推奨されている為、手引きに従って
発芽前に畝の上にも除草剤を散布しました。

しかし、それが後に重大な影響を及ぼす事になるのですが、この時はまだ知る由もありません…。

ちなみに、種蒔きから間も無い時期にも関わらず、イノシシに畑を掘り返されて、畝の一部がボコボコになったりもしました(~_~;)

地中に張り巡らされた植物の根っこがお好きらしく、それを探して畑を荒らし回ったと推測されます。

サイコにしてみれば、ただの「とばっちり」です。

これではイカンと、畑をぐるっと囲む様にイノシシ避けの柵を作りました。
これには、漁で使われていた網を利用しました。

まあ…正直そんなに効果は有りません(苦笑)

第121話.ミシマサイコ~プレイバック2020・その1~

ミシマサイコ(三島柴胡)とは、茨城県以西に分布するセリ科の多年生植物で、秋には黄色い花を咲かせます。

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その根を乾燥させた物が生薬でサイコと呼ばれ、解熱・鎮痛・解毒の作用が有るとして漢方薬に配合されます。

江戸時代に全国で生産される様になりましたが、静岡県の三島地方が良質なサイコの大集荷地であった為、「ミシマサイコ」と呼ばれる様になったそうです。

…と、人からの受け売りを文字に起こすのは疲れますね(笑)

さて、冒頭から何故こんな話をしたのかと言いますと、実は昨年、そのミシマサイコ(以降サイコと略します)の栽培に取り組んでいました。

「オトナの事情」でまだ公表出来ないと思い込んでいましたが、それが僕の勘違いだと分かった為、晴れて情報解禁となった次第です。

高知県の或る会社がサイコの栽培農家を募っているという話を、三豊市役所の職員の方から頂いたのが事の発端でした。

薬用植物の栽培を地域の産業にしたいと考えた三豊市が賛同して音頭を取っており、そこに志々島も名乗りを上げた格好です。

と言っても、島民が一丸となって…という訳ではなく、メンバーは自治会長さんと僕の2人だけ。

上手く育てばお金になりますが、それを約束出来ない段階で皆を引っ張り込めないというのが、少なくとも僕の考える理由です。

メリットとしては、取れた分を全て買い取ってくれる点。
唐辛子や綿花の売り方に四苦八苦している僕には、それが如何に有難い事かよく分かります。

デメリットとしては、三豊の土地ではまだ栽培方法が確立されていない点。
高知とは気候風土が異なるので、同じやり方が通じるとは限らず、各農家は手探りで取り組まねばならない所が少なからず有ります。

いずれにせよ、生計を立てる為の「柱」を模索する僕の場合、それなりの規模でやらなくては話になりません。

その舞台として選ばれたのが、僕のブログに何度か登場した丘の上の土地・壇上(だんえ)です。

正に1年前、当初はレモンの苗を植えるつもりで切り開いた耕作放棄地でした。

がしかし、そこでサイコを作りたいと自治会長さんから熱望された事。
加えて、レモンが実るまで少なくとも2~3年は掛かる事。

それらを総合的に考えて、考えて考えて、サイコに畑を譲る決心を固めました。

そんな訳で新年早々、去年の事を振り返って行くというおかしな展開になりますが、暫くの間どうぞお付き合い下さい。