せとうち志々島移住日記

東京生まれ・東京育ちの元プログラマー。父母ヶ浜で有名な香川県三豊市に属する離島・志々島(ししじま)に移住した新米島人です。 その日常を綴って行きます。

第137話.三度(みたび)の本鷹~苗作り編~

過去2年は、地植えで唐辛子の苗を作って来ました。

大きくて丈夫な苗が出来るというのがその理由でしたが、雑草に埋もれてしまう過酷な環境だったせいか、期待する数の発芽は望めませんでした。

そこで今年は「教科書」に従い、セルトレイやポットを使った地道な?苗作りに挑戦してみました。

先ずは種を発芽させる為、セルトレイに種を蒔きます。

「脱落者」が出るのを見越して千粒以上蒔きましたが、ちっこい種を1エリアに1粒ずつ入れて行くので、なかなか骨が折れるものでした。

播種直後は小まめな水やりが必要なので、利便性を考えて、家の庭に簡易ビニールハウスを作りました。

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ビニールシートは、昨年強風で吹き飛ばされたハウスで使っていた物です(苦笑)

発芽温度というものが有るので、3~4月に発芽させるにはやっぱり温めないといけません。

ただ、真ん中に長い竹を2本渡しただけの手抜きハウスなので、雨が降るとたわんでビニールとセルトレイとが密着して芽を圧迫する、というお粗末な出来でした(^^;

本葉が2枚付いたら、ポットに植え替えです。f:id:goumonkobura:20210621165658j:image

このまま庭で続けたいのは山々でしたが、如何せん土が無い為、高台の畑へ引っ越しせざるを得ませんでした。

最初、トレイから苗を上手に取り出す方法が分からず、せっかく発芽した物をずいぶん駄目にしてしまいました(苦笑)

で、ここからは常温の野ざらしです。f:id:goumonkobura:20210621165956j:image
本葉10枚以上が定植の目安ですが、それもあって成長に時間が掛かり、結局は6月まで待つ事になりました。

地植えに比べると小さくて、正直頼りない感じです。

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それでも時期的に限界なので、定植に踏み切りました。

この梅雨の内に大きくなってくれないと、夏の暑さには耐えられないでしょう。

で、順調に育った前提ですが、今年こそは水やりせずに育てようと思います。

水をやらない方が辛い唐辛子になると聞いていたものの、昨夏は一月ほど雨の降らない日が続き、枯れては元も子もないと、必死に水をやってしまいました。

本来はワラを敷いたりして保湿に努めるべきですが、そうした事を一切行えなかったので尚更です。

調達に乗り出したのが遅く、今回もワラは手に入りませんでした。
でも、知り合いを頼ってどうにか「もみ殻」は頂く事が出来ました。

もみ殻を畑全体に撒いて、定植作業は終了。f:id:goumonkobura:20210621170123j:image

ここからは如何に水やりを我慢できるか?
我慢比べです。

第136話.右肩下がり

志々島で昨年、90代のおばあちゃんが亡くなりました。
もちろん残念な事ですが、年齢を考えれば大往生と言っても良いでしょう。

これにより島民は19人。

更に先月、2人の男性が島を去りました。
どちらもいわゆる「移住組」で、対岸の町の同じ職場に勤めていました。

1人は40代後半(以下、Aさん)で、移住してほぼ2年というタイミングでした。
もう1人は60代半ば(以下、Bさん)で、5年ほど島に住んでいました。

志々島には仕事が無いので、収入を得るには出稼ぎに行くのが近道です。

しかし、定期船のダイヤの都合上、朝早くに島を出て、普通よりも早く仕事を終えて夕方前には帰らないといけません。

出稼ぎするには不便この上無い環境で、メリット全く無いでしょうね(苦笑)

ただ、Aさんが島を出た理由はそれだけではありません。

Aさんは、島内でのボランティア活動や行事を煩わしく感じていた様です。

町内のゴミ拾いや神社の草刈り、年2回の大きなお祭り等が挙げられます。

特にAさんの場合、島に移住する前後でトータル1年ぐらい仕事が出来ない状況が続いていた為、お金にならない事に時間や労力を奪われるのが歯痒く感じたのではないでしょうか。

僕も東京で独り暮らしをしていた頃は、アパートの隣人の顔や名前すら知りませんでした。

当然、町内会や自治会なんて物とは無縁で、そうした地域活動に巻き込まれていたら、面倒臭がっただろうなぁと想像出来ます。

でも、縁もゆかりも無い土地にやって来て住まわせて貰っている今は、「郷に入れば郷に従え」の精神で、出来る限り歩み寄るのがマナーだと思っています。

はい、優等生ぶってゴメンなさい(笑)

また、Aさんにはお年寄りからの「期待」も重荷になったかもしれません。

Aさんは釣りが趣味でした。
釣りをしてのんびり過ごすつもりだったのに、「アレして欲しい、コレして欲しい」と頼まれる始末。

島に来たばかりという立場上、断り切れない事が多々有ったと思います。

想い描いていた暮らしとのギャップに、頭を悩ませている様にも見えました。

志々島で40代と言えば、バリバリの若手です。
高齢者ばかりの過疎地に若者がやって来たら、期待するなと言う方が無理な話です。

田舎への移住を考えている方は、そういう面が有る事も頭の片隅に置いておくと良いかもしれません。

一方、Bさんは人間関係が上手く行っていなかった様子で、島に居るのが窮屈そうに見えました。

一人で思い切った決断が出来るタイプの方ではありませんでしたが、Aさんが島を出ると聞き、我が意を得たりと追従したんじゃないかと思います。

…と、色々と知った風な口をききましたが、島を出る理由を二人から直接聞いた訳ではありません。

これまで見聞きした情報を元に、僕が勝手に推理しただけの話です。
もちろんそこには本人達の言葉も含まれているので、大きくは間違っていないと思います。

でも、100点満点の正解とは言いませんので、悪しからず。

最後に、今回の件についての感想を述べます。

先ず、お二人は良い選択をしたと思います。
やり直すなら早いに越した事は無いです。
加齢は待ってくれませんからね(笑)

それと、島内で何か一緒に取り組んでいた訳でもないので、僕個人としては特に影響無いです。
どうぞお達者で、の一語に尽きます。

僕もこの先、何を考えどの様な選択をするか分かりませんが、島で暮らして行ける様、まだもう少し粘りますよ。

第135話.Win-Winな関係?~後編~

さて、ナナ改め菜々緒を飼い始めてから半月ほど経ったでしょうか。

今日は菜々緒に何処の草を食わせようか?と考える毎日です。

雑草が繁茂する時期なので餌場には困りませんが、こちらの思惑通りに行くとは限りません。

と言うのも、ヤツらはああ見えて選り好みします。
匂いを嗅いで、食べる・食べないを判断している様です。

ヤギにとっては毒になる植物が在るのかもしれませんし、単なる好き嫌いかもしれません。

なので、「コレを食べてくれたら助かるのになぁ…」と思う事もしばしばです(苦笑)f:id:goumonkobura:20210601192622j:image
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加えて、地面に触れる部分までは食べないので、根絶やしにしてくれる事は期待出来ません。

でも、草を食べてる姿は見ていて気持ち良いですね。
好物の草であれば、永遠に食べるんじゃないかとすら思えます。

YouTubeにヤギが咀嚼する動画(ASMR)なんかもアップされてるので、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか?(笑)

…と、何やかんや言って来ましたが、ここまでは予め分かっていた事なので、誤算という訳ではありません。

一方で、飼ってみて気付いた事も有ります。

これまで世話をしてくれた飼育係さんの努力の賜物でしょうが、菜々緒は割と人懐っこいです。
頭を撫でて欲しいのか、よくすり寄って来ます。

それから、餌場を移動させる為に僕が近付いて行くと、九分九厘オシッコをします。

パブロフの犬的な条件反射が染み付いたんじゃないかと推察しますが、僕は勝手に「嬉ション」ってやつだと思う様にしています(笑)

ちなみに、ヤギ小屋はまだ作っていません。
朝晩の冷え込みも緩んで来たので、冬までは外に出しっぱなしでも支障無いからです。

作る場所の候補は有りますが、そうした理由から急ぐ事も無いと思って先送りしています。

なので当分の間、菜々緒は住所不定です。

ただし、ヤギは濡れるのを嫌うらしく、雨が降ったら避難させないといけません。
今は、空き家の軒下やらを使って雨露を凌いでいます。

でも甘やかすつもりは無いので、小雨程度なら放置しますよ(笑)

梅雨の中休みの現在、大根を作っていた高台の畑に遠征させています。

しっかり働いて、僕に楽をさせて欲しいものです。

第134話.Win-Winな関係?~前編~

これまで志々島では、主に1人の方がヤギをまとめて世話していました。

それが先日、今年の初めに生まれた子ヤギ達が全て里子に出され、更には残った4頭の内、2番目に大きい雌ヤギのナナも他所に貰われようとしていました。

はい、これがそのナナです。

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そしてこの機を境に、希望する島民が個々にヤギを飼う様になるとの事。

1人で複数頭のヤギを世話する大変さは理解出来たので、それ自体は良い決定だと思いました。

と同時に、自分の自由になるヤギが居ても良いのでは?という考えがポッと浮かびました。

家の周辺や畑への道中など、雑草が繁茂する時期です。

草刈り機を使えば燃料代は掛かるし、木の根元や石段・石垣の近く等は機械で刈るのが難しかったりもします。

ヤギを使えば、お金も労力も掛けずにそうした雑草を駆除出来ると思った訳です。

一方で、初期のブログでヤギとはなるべく関わりたくないと宣言した通り、今も苦手な気持ちに変わりはありません。

時々ヤギの世話を手伝う事も有りましたが、小柄な奴でも引っ張る力は恐ろしく強く、坂を連れて下りる際に命を落としかねない危険な目にも遭いました。

そもそも、犬や猫すら飼う事無く生きて来た為、動物を抱っこしたりするのは無理です(苦笑)

何より、ペットを飼う事は命を預かる事に他ならないので、どんな動物であろうと責任重大です。

そんな風に様々な葛藤は有ったものの、それでもメリットの方が大きいだろうと判断し、ナナの引き渡し日が目前に迫ったタイミングで「待った!」を掛けたのでした。

単に「ヤギが可愛いから」という理由で飼う訳でない事は、ここまでの説明でご理解頂けたかと思います。

僕は雑草を食って欲しい。
ヤギは餌が食える。

お互いがWin-Winになるのを目標に、ヤギとビジネスライクな関係を築けたら良いなというのが僕の希望です。

ちなみに、自分のペットにする以上は何か面白い名前にしたいと思いましたが、元の名前からの急激な変化に耐えられない可能性も考慮して、「ナナ」から「菜々緒」への改名に留める事にしました(笑)


つづく

第133話.沢庵を作ってみた

話は遡って3月の事。
成長が不十分で切り干しには向かない大根を使って、沢庵作りに挑戦してみました。f:id:goumonkobura:20210512183322j:image
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数はそれ程ありませんでしたが、お試しで作るには充分な本数だったと思います。

ちなみに、島のオバ様から教わったレシピは以下の通り(大根約35本分の材料)。

酒…1合(180ml)
漬物の素…1/2箱
米ぬか…2升(3kg)
サッカリン…1袋
塩…5合(750g)

これらを混ぜ合わせた物を、樽等の容器に大根と交互に敷き詰めて行くだけです。

実際、甘味料ならばサッカリンじゃなくても良いと思うんですけどね。
害は無いそうですが、あの黄色がどうも苦手で…(^^;

余談ですが、スーパーで買った米ぬかの袋を開けたら、こんな物が3~4つ入っていました。

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見た目や手触りからすると、ゴムの様なスニーカーの素材の様な…( ´~`)
食べられない物であろう事は確実でした。

メーカーに調査して貰った所、工場のラインのパッキンが破損して混入したとの事。

こんなデカイ物が気付かれずによく出荷されたもんだと、驚き呆れました。

でも、誠意有る対応をして貰ったので、メーカー名や商品名は伏せておきます(笑)

さて、大根を漬けてから1ヶ月が経過。

本来は重石を徐々に軽くして行くのがセオリーですが、面倒臭いのでメチャクチャ重たい石臼を乗っけて、その日まで放ったらかしにしていました。

美味しく出来たかな~と、内心ワクワクしながら容器に掛けた袋の口を開けると…。

1ヶ月前と寸分違わぬ姿がそこに在りました(*_*)

写真を撮っておらずですいませんが、パッサパサの米ぬかの中に、干からびた大根がただ埋もれている様子を想像して下さい。

理由は簡単、大根の干し過ぎです。
殆んどの大根は2月中に収穫し、沢庵向けの大根を干し始めたのもその頃からでした。

大根を「への字」に曲げられる硬さになった頃が漬け時だと聞いていたにも関わらず、切り干し作りに追われて手が回りませんでした。

そのせいで水分が完全に飛んでしまい、大根に重石を載せても一切水が出なかった訳です(^^;

このまま終わるのは惜しいので、どうにかリカバリー出来ないものかと再び島のオバ様に相談。

「濃い目の塩水を加えたら復活するかもしれない」との助言を頂いたので、仕切り直す事にしました。

それから3週間が経過。
ぼちぼち変化も有るだろうと、再び容器に掛けた袋の口を開けると…。


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溢れんばかりにカビが生えていました(~_~;)
※中央のクリーム色の物は中蓋です

これでもう、思い残す事はありません。
全てを海に捨て去りました(笑)

でもまあ、いいんです。
沢庵はオマケで作ってみようと思っただけなので、ダメージは有りません。

ただ、期待してくれた人達も居たので、その点は申し訳無かったですね。

第132話.グリンピースを出荷してみた

支柱を立てたり倒れたりの話で何度かブログにも登場したグリンピースですが、4月の半ばを過ぎてようやく収穫の時を迎えました。f:id:goumonkobura:20210501155747j:image

先ずは、コンテナ一杯にする事を目標に収穫。

それらの殻を剥いて、中の豆だけ取り出します。

ちなみに、殻が平べったいのはもちろん、ツヤツヤ・青々とした物は豆が充分に育っていません。

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殻の色が褪せて、シワが寄った位が収穫のタイミングです。
為になるね~(笑)

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極端に小さい豆は除外しつつ、全ての殻を剥いたら次は袋詰め。

200gずつに小分けして、一丁上がりです。f:id:goumonkobura:20210501160006j:image
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…と、一言で片付けましたが、数が有るので結構な時間を要しました(^^;

加えて、空気穴を開けないと水分が充満して、中が真っ白に曇ってしまうとの指摘を受け、千枚通しで穴を開けて回ったりと、余計な手間も掛かりました。

予め穴の開いた袋も売っていますが、グリンピースに合うサイズの物では見つからずで、そんな事になった次第です( ´~`)

色々と手ほどきを受ける上で、初回はセンパイ島民に手伝って頂いたものの、2回目からは自分一人。

当然ながら負担も2倍・3倍となり、正直心が折れそうになりました(苦笑)

とは言え、当初は収穫→出荷→収穫→出荷…を毎日繰り返す想定でしたが、実際は豆の成長にバラつきが有り、日を空けないと次の収穫に移れない状況だった為、根を詰めずに済みました。

そうして剥いた豆は出荷します。
早朝に島を出て、船と車を乗り継いで多度津青果と言う小ぢんまりとした市場まで持って行きます。

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港に隣接している所なので志々島から直行した方が速いんじゃないかとは思いますが、船を着けるにも色々ルールが有る様で、ややこしそうだから断念しました(笑)

預けた作物は競りにかけられ、翌日以降にその売り上げを受け取るという仕組みです。

高い・安いは別として、僕のグリンピースも買って貰えました(^_^)

ここの良い点は、JAとは関係の無い独立した会社で、誰でも何でも持ち込める所ですね。

ただし、売れるかどうかは商品の質次第。

仕入れ業者としては、買った物をそのまま売れるに越した事は無いので、「泥だらけの大根と綺麗に洗った大根、どっちを選ぶ?」という話です。

さて、まだまだ畑に豆は残っていますが、育て方の問題も有って、期待した程の収穫は見込めないと思っています。

あと2回出荷出来たら、御の字かなと(^^;

でも、畑での栽培に始まり、収穫・出荷作業に掛かる労力を考えると、果たして黒字と言えるのか甚だ疑問です。

同じ畑をやるにしても、より手の掛からない物を見付けるのが得策かなぁ、というのが今回の感想でしょうか。

第131話.3年目を振り返る~後編~

「田舎に移住したら幸せでした」という番組タイトルですが、実はロケが終わった後で決まった物でした。

それを聞いた時、悪い予感はしていました。

案の定、僕が発した数少ない前向きなコメントが切り取られて使われていました。

苦労アピールするつもりはありませんが、単に「幸せに暮らしてます」と思われるのは最も避けたい所でした。

放送後、移住を希望する人達からの連絡が少なからず有ったそうです。
「移住希望者」と「移住を実行する人」とがイコールでない事は、これまで見て来てよ~く分かっています。

しかし、たとえ僅かな人達相手だからと言って、誤ったイメージを植え付けるべきではありません。

志々島の良い所も悪い所も知って貰い、その上で移住を検討して欲しいというのが僕のスタンスです。

テレビ番組は、制作陣の思い描くシナリオに沿った部分を切り貼りして、一つの作品を仕上げるものだと思っています。
この横断幕も、局側が用意してくれた物です。

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それ自体を否定するつもりはありませんが、報道やドキュメンタリーチックなバラエティーは視聴者が真に受ける恐れが有る為、自分達の影響力というものをよく考えて欲しいです。

ちなみに、僕個人への反響で言いますと、公式サイトとブログの閲覧数が直後に少し上がっただけで、商売に関してはほぼ無風状態です(苦笑)

ティッシュ配りの「打率」を考えたらこんなもんでしょうが、PR効果が無いなら僕が取材に応じる理由はもう無いかなと。

さて、ここまで来てようやく本題である振り返りをします。

この一年を一言で表すならば、「骨折り損」でしょうか。

レモン畑にしようと開拓した土地には待ったが掛かり、唐辛子の苗床にと作ったビニールハウスや壇上(だんえ)の貯水装置は強風で吹き飛ばされ、やむを得ず殺虫剤を使った綿花はオーガニックじゃなくなり、雑草取りに精を出したミシマサイコの畑は殆んど発芽せず。

唐辛子等の商品作りに関して言うと、ノウハウを得るという意味では一歩前進したかもしれません。

が、それらがちょこっと売れた所で、正にお小遣い程度の稼ぎ。
生計を立てるという目標には遠く及びません。

今年と来年、この2年の内に何かしらの糸口を見付けないと、いよいよ身の振り方を考えなければならなくなるでしょう。

移住して良かったと思える事は、もちろん有ります。
しかし、まだまだ戦いの真っ最中。

だから、人から「幸せですか?」と尋ねられても、「まだ分かりません」と答える様にしています。

生計が立てられるその日まで、「移住したら幸せでした」なんて事は口が裂けても言いませんよ(笑)